子宮頸がん発覚から手術までの怒涛の1か月

子宮頸がんの検査

子宮頸がん検診を受けて「要精密検査」となると、これからどうなるんだろう、と不安になりますよね。先が見えないと不安は増していくもの。少しでも頭の中に、これから起きるかもしれない事を入れておくと、心の準備ができます。

あくまでも私の場合の一例に過ぎませんが、今回の記事では、私が検診で「要精密検査」となってから、どんな経過で入院まで至ったかをまとめていきます。

これから、検査や診断、治療…と進んでいく予定の方は、是非一例として参考にしてみてください。心の準備をして、一つ一つの出来事をこなしていくことで、心に余裕を持って色んなことを選択できると思います。

健康診断で「要精密検査」

私が子宮頸がんが発覚したのは、2012年10月。会社の健康診断で見つかりました。

実はその年の7月くらいに陰部のかゆみがあり、一度婦人科に行っていたんですね。そこで
おりものの異常を指摘され、次回「がん検診を受けましょう」と言われていたのに、「秋に健康診断あるからいいや」と放置していたんです。そこから3カ月経って、10月に発覚しました。

この3カ月でもどんどんガンは進行していたんでしょうね…

そうそう!
健康診断って異常があると、すぐに電話が来るんですよ!知ってます?

今まで健康診断で引っかかったことのなかった私は、会社に電話が来てビックリしました!検診センターの方から「早めに結果を送るので確認してください」と直々に電話が来たので、そこから何だかソワソワしていました。

でもそうは言っても、

そんな重大な結果だとは思っていなかったですけどね…

結果が届いたところ、「要精密検査 子宮頸がんの疑いあり」と書いてありました。ショックはショックでしたが、何の根拠もなく、「きっと早期発見だろう」くらいの感じだったんですよね。

と言うのも、私の母も25年ほど前に胃がんになっているのですが、早期発見だったので2週間程度で退院して元気になっていたんです。だから、いつか自分もガンになるかもだけど、ガンは早期発見で何とかなるもの、という意識があったんですね。

加えて、もともとのポジティブ思考と言いますか、マイナスをプラスに変えるタイプの人間だったので、根拠なく「早期発見だから大丈夫だろう」と思っていました。

かかりつけのクリニックへ行くも断られる

「早期発見だろう」と軽く考えていた私は、がんセンター病院とか大きい病院に行く、という考えが思いつかず、7月に行った、かかりつけの婦人科クリニックに、その健康診断結果と同封されていた紹介状を持って行ったんですよね。(2012年10月22日)

そしたら受付で「これはうちではどうにもならないので、大きな病院に行ってください」と言われて紹介状を返され、診てもらえなかったんです。その時にいよいよ「やばい…」と焦り始めましたね。

それにしても、こういう紹介状は大きな病院に持って行ってください、とか書いておいてほしかったです!二度手間になっちゃいましたもん…普通は大きい病院に行くって、みんな分かってるのかなぁ?

 

がんセンター病院初診

仕方なく、職場にはまたお願いして休みをもらい、次の日にがんセンター病院へ。(2012年10月23日)そのがんセンター病院は、15年ほど前に胃がんになった母親がかかっていた病院でした。まさか今度は自分が患者として来ることになろうとは…

ある程度、心の準備もしたかった私は、行く前に、紹介状の封筒の中身を自分で見たんですよね。もらった時はしっかり封がされていたので、見るつもりはなかったのですが、かかりつけのクリニックに行った時に開封されて返ってきたので、怖かったけど、自分でも見てみようと、恐る恐る開いて見てみたんです…

あまりよく覚えてはいませんが、確か「子宮頸がん」「腺がんの疑い」みたいな言葉が書いてあって、それをネットで調べていくうちに、どんどん怖くなっていきました。ドキドキして不安に押し潰されそうになっていました。

その紹介状を持ってがんセンター病院へ。

紹介状は持っているものの予約なしの初診。初日は朝の9時頃行って終わったのは13時頃でした。だいぶ待つだろうと思って、雑誌や本を持ち込んで時間は潰しているんだけど、気が気じゃありませんでした。

待合室にいると、脱毛用の帽子をかぶっている人を見たりして「自分もこんな風になるのかな」
すごく不安でした。

数時間後ようやく呼ばれて、診察。初診では細胞診といって、子宮の一部を切除する検査を行いました。あまり痛みは感じなかったです。

私の場合、おりものの量が多く、担当医から「子宮頸がんの疑いはあるが、もし陰性だとしても
あのおりものの原因は突き止めないといけない。普通の子宮頸がんの様相とはちょっと違う感じがする」と言われていました。

ひょっとしてガンじゃない違うものなんじゃないか、と都合よく考えたい自分がいましたね…

検査結果は1週間後とのことで、診察の予約を仕事のシフトが休みの日に入れようとする私に、担当医は「これから結果次第では、仕事よりも検査や治療優先にする必要があります。検査結果が出たら職場にも伝えましょう」と…

この言葉で、これまで当たり前にしてきた生活が送れなくなるのかもしれない…と急に危機感というか恐怖が押し寄せ、目の前の景色が違って見えるような気がしました。景色がセピア色に見えるってホントなんだって思いました。

子宮頸がんと診断 その後続く検査

1週間後、細胞診の結果を聞きに病院へ。検査結果は一人で聞きに行きました。(2012年10月31日)

そこで「やはり子宮頸がんです。早めに手術や治療の必要があるので、仕事も調整していただくことになります。」告知をされたのでした。

その時の診断は、「子宮頚部絨毛腺管癌」というものでした。先生もあまり症例がないということでしたが、腺がんの中では、比較的予後は良いがんと聞いて少しほっとしたのを覚えています。

この後、他に転移がないかどうかなどを調べるために、CT検査とMRI検査を予約。この2つの検査は同じ日にはできないようで、2日連続で病院へ。(2012年11月5-6日)

正直、仕事も休んでばかりになっていたので、1日で済ませてくれよ~、って気持ちでしたね^^;

検査結果はまたその次の日で、3日連続の通院。会社も休む日が増えてきました。

これらの検査も初めての経験。少し緊張はしたものの、自分の中ではあくまでも「念のため」の検査
という気持ちでこなしていました。まさかそこから新たな悪い結果が出るとは思わずに…

検査結果は予想外のリンパ節肥大…転移?

CT、MRI検査の結果は、母と一緒に聞きに行きました。(2012年11月7日)

この日までは、比較的予後のよい「子宮頚部絨毛腺管癌」と言われていたので、自分の中では「子宮の全摘出手術は免れるのではないか」と楽観的に考えていました。

しかしその予想に反して「リンパ節に肥大があるので、ひょっとしたら転移かもしれない。できれば全摘出手術がいい」と担当医から告げられたのです。インターネットで自分なりに調べて、色々な可能性を考えてはいましたが、楽観的に考えていた部分が多く、すごくショックが大きかったです。

二人目の子供を産める可能性がゼロに近いとわかって、自然と涙がこぼれていました。

この様子を見て担当医は、子宮を温存できる「広汎子宮頸部全摘出手術(トラケレクトミー)」という手術を、一線でやっているB大学病院を紹介してくれたのです。「今の状態で適応になるかどうかはわからないが、この手術なら妊娠の可能性を残せるかもしれない。聞いてみますか?」と。

CTとMRI検査結果を説明してもらった時の同意書

がんが進行する恐れもあるので、セカンドオピニオンに時間をかけるのも心配はありましたが、子宮を残せるかどうかは、私にとって非常に重要な問題だったので、少しでも望みが残っているなら、と
セカンドオピニオンを受けることに。

その場で紹介状を書いてもらい、すぐ翌日B大学病院へ行きました。

セカンドオピニオンでB大学病院へ

B大学病院でセカンドオピニオンを受けた時のお話は、別記事で詳しく書いているので、こちらをご覧くださいね。

妊娠を諦めたくなくて受けたセカンドオピニオン
癌と診断され、治療を選択していく中で、本を読んだり、ネットで調べているうちに 「本当にこの治療法しかないのか」 「他の医師なら何て言うだろうか」 と、他の医師の意見を聞きたくなることがあると思います。 そんな時に活用できるのが「セカンドオピ...

B大学病院に行ったのが11月8日。この日は検査をしてもらい、結果は11月14日。

結局、B大学病院でも、既にトラケレクトミー適応の状態ではなく、広汎子宮全摘手術が適当であると言われ、A病院に戻って手術を受ける決意を固めました。このセカンドオピニオンには1週間を費やしました。

A病院で広汎子宮全摘出手術へ向けて準備

B大学病院でのセカンドオピニオンを受け、A病院での「広汎子宮全摘出手術」を受けることを
決意した私。あとはもう、娘のために絶対に生きる!という目標に向かって進むだけでした。

B大学病院での診察後、A病院にすぐ電話すると、翌日9時に来院するように指示があり、午前だけ仕事を休み2012年11月15日、再度A病院へ。A病院に戻ると、「あれからバタバタと新しい患者さんが来て、手術の日程が埋まって来てるんです」とのこと。それでも何とか一番早いところで予約を入れてもらい、手術は11月26日、入院は11月22日に決まりました。

この日が11/15だったので、入院までは1週間。

この間に、輸血用の自己血を取りに、2回内科へ通院しました。手術の時に出血が多くなるから、輸血の準備がいるということだったんです。2回の通院で、400mlずつだったと思いますが、自己血をとりました。(11月16日、11月21日)

自己血の同意書

この頃は貧血にならないように、マグロとか鉄分を意識して食べるようにしていました。

あとは入院に備えて急ピッチで準備!

●仕事の引継ぎ
●娘の世話の段取り(保育園の準備など)
●家事の段取り(どこに何があるかとか)
●自分の入院準備

これらを、いつもの仕事と家事育児の日常をこなしながらも進めていきました。毎晩娘の寝顔を見ながら、しばらく離れ離れになることに胸が締め付けられていました。

がん発覚から手術までの1か月 まとめ

以上が、子宮頸がんが発覚してから入院、手術にいたるまでの1か月の過程でした。

●健康診断で発覚
●紹介状を持ってかかりつけ医に行くもNG
●がんセンター病院受診
●追加検査(CT/MRI)
●セカンドオピニオン
●自己血の準備

初診から1か月ほど経過して、入院という運びになりましたね。

私はセカンドオピニオンをしたので、1週間ほど余計にかかりましたが、それが無ければもっと早かったと思います。この辺のスピード感は、病状や病院の状況によっても差があると思いますので、あくまで参考までに…

人生が一変してしまった1か月。日常の当たり前が本当に尊く感じました。当たり前なことなんて一つもなくて、すべてがありがたいことなんだと…

この後の入院、手術後の経過はまた別記事で書いていきますね!


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